小中学の頃、俺は田舎者で世間知らずで、特に仲の良かったA、Bと三人で毎日バカやって荒れた生活をしていた。

俺とAは、家族にもまるっきり見放されていたのだが、Bのお母さんだけは、Bを必ず構ってくれていた。あくまで厳しい態度ではあったけれど、何だかんだ言ってBのために色々と動いてくれていた。

中三のある時、そんなBとお母さんが、かなりキツい喧嘩になったことを知った。詳しい内容は言わなかったものの、精神的にお母さんを痛め付けたらしい。

お母さんをズタボロに傷つけていたころ、親父が帰ってきた。一目で状況を察した親父は、Bを無視して黙ったままお母さんに近づいていった。

服や髪がボロボロなうえに、死んだ魚のような目で床を茫然と見つめてるお母さんを見て、親父はBに話した。


B父「お前、ここまで人を踏み躙れるような人間になっちまったんだな。母さんがどれだけお前を想ってるか、なんでわからないんだ」


親父はBを見ず、お母さんを抱き締めながら話していたそうだ。


B「うるせえよ。てめえは殺してやろうか?あ?」


Bは全く話を聞く気がなかった。

だが親父は何ら反応する様子もなく、淡々と話を続けたらしい。


B父「お前、自分には怖いものなんか何もないと、そう思ってるのか」


B「ねえな。あるなら見せてもらいてえもんだぜ」


親父は少し黙った後、話した。


B父「お前は俺の息子だ。母さんがお前をどれだけ心配しているのかも良く分かっている。だがな、お前が母さんに対してこうやって踏み躙る事しか出来ないの なら、俺にも考えがある。これは父としてでなく、一人の人間、他人として話す。先にはっきり言っておくが俺がこれを話すのは、お前が死んでも構わんと覚悟 した証拠だ。それでいいなら聞け」


Bは、その言葉に何か凄まじい気迫のようなものを感じたらしいが、「いいから話してみろ!」と煽った。


B父「森の中で立入禁止になっている場所があるのを知っているな。あそこに入って奥へ進んでみろ。後は行けばわかる。そこで今みたいに暴れてみろ。出来るもんならな」


親父が言う森というのは、俺達が住んでいるところに小規模の山があって、そのふもとにある樹海みたいな場所だ。

山自体は普通に入れて、森全体も普通ではあるが、中に入っていくと、途中で立入禁止になってる区域がある。言ってみれば、四角の中に小さい円を書いて、その円の中には入るな、という状態だ。

2メートル近い高さの柵で囲まれ、柵には太い綱と有刺鉄線、柵全体にはが連なった白い紙がからまっていて(独自の紙垂のような)、大小いろいろな鈴が無数に付いている。変に部分的なせいで柵自体の並びも歪だし、とにかく尋常じゃないの一言に尽きる。

そして、特定の日に巫女さんが入り口に数人集まっているのを見かけることがあるが、その日は付近一帯が立入禁止になるため、何をしているのかは謎だった。

様々な噂が飛び交っていたが、カルト教団の洗脳施設があるという説が一番有力だった。そもそもその地点まで行くのが面倒なので、その奥まで行ったっという話はほとんどなかった。

親父はBの返事を待たずにお母さんを連れて2階に上がって行ったそうだ。Bはそのまま家を出て、待ち合わせていた俺とAと合流。そこで俺達もこの話を聞いた。


A「父親がそこまで言うなんて相当だな」


俺「噂じゃカルト教団のアジトだっけ。捕まって洗脳されちまえって事かね。怖いっちゃ怖いが…どうすんだ?行くのか?」


B「行くに決まってんだろ。どうせ親父のハッタリだ」


面白半分で俺とAもついて行くことになり、三人でそこへ向かった。あれこれ道具を用意して、時間は夜中の1時過ぎぐらいになっていた。



意気揚々と現場に到着し、持ってきた懐中電灯で前を照らしながら森へ入って行く。軽装でも進んで行けるような道だった。俺達はいつも地下足袋だったので歩きやすかったが、問題の地点へは40分近くは歩かないといけない。

ところが、入って5分もしないうちにおかしな事になった。

俺達が入って歩きだしたのとほぼ同じタイミングで、何か音が遠くから聞こえ始めた。夜の静けさがやたらとその音を強調させる。最初に気付いたのはBだった。


B「おい、何か聞こえねぇか?」


Bの言葉で耳をすませてみると、確かに聞こえた。落ち葉を引きずるカサカサ…という音と、枝がパキッ…パキッ…と折れる音。それが遠くの方から微かに聞こえてきている。

遠くから微かに…というせいもあって、さほど恐怖は感じなかった。人って考える前に動物ぐらいいるだろ、そんな思いもあり構わず進んでいった。

動物だと考えてから気にしなくなったが、そのまま20分ぐらい進んできたところで、またBが何かに気付き、俺とAの足を止めた。


B「A、お前だけちょっと歩いてみてくれ」


A「?…何でだよ」


B「いいから早く!」


Aが不思議そうに一人で前へ歩いていき、またこっちへ戻ってくる。それを見て、Bは考え込むような表情になった。


A「おい、何なんだよ?」


俺「説明しろ!」


俺達がそう言うと、Bは「静かにしてよ~く聞いててみ」と、Aにさせたように一人で前へ歩いていき、またこっちに戻ってきた。二、三度繰り返してようやく俺達も気が付いた。

遠くから微かに聞こえてきている音は、俺達の動きに合わせていた。俺達が歩きだせばその音も歩きだし、俺達が立ち止まると音も止まる。まるでこっちの様子がわかっているようだった。


何かひんやりした空気を感じずにはいられなかった。


周囲に俺達が持つ以外の光はない。月は出てるが、木々に遮られほとんど意味はなかった。懐中電灯を点けているので、こちらの位置が分かるのも不思議ではない。しかし一緒に歩いてる俺達でさえ、互いの姿を確認するのに目を凝らさなければならない暗さだ。

そんな暗闇の中で、光もなしに何をしている?なぜ俺達と同じように動いているんだ?


B「ふざけんなよ。誰か俺達を尾けてやがんのか?」


A「近づかれてる気配はないよな。向こうはさっきからずっと同じぐらいの位置だし」


Aが言うように森に入ってからここまでの20分ほど、俺達と、その音との距離は一向に変わっていなかった。近づいてくるわけでも遠ざかるわけでもない。終始、同じ距離を保ったままだった。


俺「監視されてんのかな?」


A「そんな感じだよな…カルト教団とかなら何か変な装置とか持ってそうだしよ」


音から察すると、複数ではなく一人がずっと俺達にくっついてるような感じだった。しばらく足を止めて考え、下手に正体を探ろうとするのは危険と判断し、一応あたりを警戒しつつそのまま先へ進む事にした。



それからずっと音に付きまとわれながら進んでいたが、やっと柵が見えてくると、音などどうでもよくなっていた。音以上に、その柵の様子の方が意味不明だったからだ。

三人とも見るのは初めてだったが、想像以上のものだった。同時にそれまでなかったある考えが頭に過ぎった。

普段は霊などバカにしてる俺達から見ても、その先にあるのが現実的なものでない事を示唆しているとしか思えない。それも半端じゃなくやばいものが。

まさか、“そういう意味”で、いわくつきの場所なのか。森へ入ってから初めて、今俺達はやばい場所にいるんじゃないかと思い始めた。


A「おい、これぶち破って奥行けってのか?誰が見ても普通じゃねえだろこれ!」


B「うるせえな、こんなんでビビってんじゃねえよ!」


柵の異常な様子に怯んでいた俺とAを怒鳴り、Bは持ってきた道具あれこれで柵をぶち壊し始めた。破壊音よりも、鳴り響く無数の鈴の音が凄かった。

しかしここまでとは想像してなかったため、持参した道具では貧弱すぎた。というか、不自然なほどに頑丈だった。特殊な素材でも使っているのではないかというくら、びくともしなかった。結局よじのぼるしかなくなってしまったが、綱のおかげで上ることは簡単だった。

だが柵を越えた途端、激しい違和感を覚えた。閉塞感のような、檻に閉じ込められたような息苦しさを感じた。AとBも同じだったようで、踏み出すのを躊躇していたが、柵を越えてしまったからには行くしかなかった。

先へ進むべく歩きだしてすぐに、三人とも気が付いた。ずっと付きまとってた音が、柵を越えてからパッタリ聞こえなくなった事に。正直そんなんもうどうでもいいとさえ思えるほど嫌な空気だったが、Aが放った言葉でさらに嫌な空気が増した。


A「もしかしてさぁ、そいつ…ずっとここにいたんじゃねえか?この柵、こっから見える分だけでも出入口みたいなのはないしさ、それで近付けなかったんじゃ…」


B「んなわけねえだろ。俺達が音の動きに気付いた場所ですらこっからじゃもう見えねえんだぞ?それなのに入った時点から俺達の様子がわかるわけねえだろ」


普通に考えればBの言葉が正しかった。禁止区域と森の入り口はかなり離れている。時間にして40分ほどと書いたが、俺達だってちんたら歩いていたわけではないし、距離にしたらそれなりの数字にはなる。

だが、現実のものじゃないかもしれない…という考えが過ぎってしまった事で、Aの言葉を否定できなかった。柵を見てから絶対に“ヤバい”と感じ始めていた俺とAを尻目に、Bだけが俄然強気だった。


B「霊だか何だか知らねえけどよ、お前の言うとおりだとしたら、そいつはこの柵から出られねえって事だろ?そんなやつ大したことねえよ」


そう言って奧へ進んでいった。



柵を越えてから2、30分歩き、うっすらと反対側の柵が見え始めたところで、不思議なものを見つけた。

特定の六本の木に注連縄(しめなわ)が張られ、その六本の木を六本の縄で括り、六角形の空間がつくられていた。柵にかかってるのとは別の、正式なものっぽい紙垂もかけられてた。そして、その中央に賽銭箱みたいなのがポツンと置いてあった。

目にした瞬間は、三人とも言葉が出なかった。特に俺とAは、マジでやばい事になってきたと焦ってさえいた。

バカな俺達でも、注連縄が通常どんな場で何のために用いられてるものか、何となくは知ってる。そういう意味でも、ここを立入禁止にしているのは、間違いなく目の前にある光景のためだ。俺達はとうとう、来るとこまで来てしまったわけだ。


俺「お前の親父が言ってたの、たぶんこれの事だろ」


A「暴れるとか無理。明らかにやばいだろ」


だが、Bは強気な姿勢を崩さなかった。


B「別に悪いもんとは限らねえだろ。とりあえずあの箱見て見ようぜ!宝でも入ってっかもな」


Bは縄をくぐって六角形の中に入り、箱に近づいてった。俺とAは箱よりもBが何をしでかすかが不安だったが、とりあえずBに続いた。


野晒しで雨などにやられたせいか、箱はサビだらけだった。上部は蓋になっていて、網目で中が見える。だが、蓋の下にまた板が敷かれていて、結局中を見ることはできない。

さらに箱にはチョークか何かで模様のようなものが書いてあった。恐らく家紋ではないか。前後左右それぞれの面にいくつもの紋所みたいな模様が書き込まれていた。しかも全部違う模様で、同じものは見当たらなかった。

俺とAは極力触らないようにし、構わず触るBにも乱暴にはしないよう、注意しながら箱を調べてみた。

どうやら地面に底を直接固定してあるらしく、大して重くはないはずなのに持ち上がらなかった。中身をどうやって見るのかと隅々までチェックすると、後ろの面だけ外れるようになってるのに気付いた。


B「おっ、ここだけ外れるぞ!中見れるぜ!」


Bが箱の一面を取り外し、俺とAもBの後ろから中を覗き込んだ。


箱の中には四隅にペットボトルのような形の壺が置かれていて、その中には何か液体が入っていた。箱の中央に、先端が赤く塗られた五センチぐらいの楊枝みたいなものが、変な形で置かれていた。



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このような形で六本。接する四ヶ所だけ赤く塗られてる。


俺「なんだこれ?爪楊枝か?」


A「おい、ペットボトルみてえなの中に何か入ってるぜ。気持ちわりいな」


B「ここまで来てペットボトルと爪楊枝かよ。意味わかんねえ」


俺とAはぺットボトルのような壺を少し触ってみたぐらいだったが、Bは手に取って匂いを嗅いだりしていた。


Bは壺を元に戻すと、今度は爪楊枝を触ろうと手を伸ばす。


ところが、汗をかいていたのか指先に一瞬くっつき、そのせいで離すときに形がずれてしまった。


その瞬間。



チリンチリリン!!チリンチリン!!



俺達が来た方とは反対、六角形地点のさらに奧にうっすらと見えている柵の方から、物凄い勢いで鈴の音が鳴った。さすがに三人ともうわっと声を上げて、一斉に顔を見合わせた。


B「誰だちくしょう!ふざけんなよ!」


Bはその方向へ走りだした。


俺「バカ、そっち行くな!」


A「おいB!やばいって!」


慌てて後を追おうと身構えると、Bは突然立ち止まり、前方に懐中電灯を向けたまま動かなくなった。

「何だよ、フリかよ~」と俺とAがホッとして急いで近付いてくと、Bの体が小刻みに震えだした。

「お、おい、どうした…?」言いながら無意識に照らされた先を見た。


Bの懐中電灯は、立ち並ぶ木々の中の一本、その根元のあたりを照らしていた。



その陰から、女の顔がこちらを覗いていた。


ひょこっと顔半分だけ出して、眩しがる様子もなく俺達を眺めていた。


上下の歯をむき出しにするように「い~っ」と口を開け、目は据わっていた。



「うわぁぁぁぁぁ!!」



誰のものかわからない悲鳴と同時に、俺達は一斉に振り返り走りだした。頭は真っ白で、体が勝手に最善の行動をとったような感じだった。互いを見合わせる余裕もなく、それぞれが必死で柵へ向かった。

柵が見えると一気に飛び掛かり、急いでよじのぼる。上まで来たらまた一気に飛び降り、すぐに入り口へ戻ろうとした。

だが、混乱しているのかAが上手く柵を上れずなかなかこっちに来ない。


俺「A!早く!!」


B「おい!早くしろ!!」


Aを待ちながら、俺はどうすればいいのか分からなかった。


俺「何だよあれ!?何なんだよ!?」


B「知らねえよ黙れ!!」


完全にパニック状態だった。



その時



チリリン!!チリンチリン!!



凄まじい大音量で鈴の音が鳴り響き、柵が揺れだした。


「何だ…!?どこからだ…!?」


俺とBはパニック状態になりながらも周囲を確認した。

入り口とは逆、山へ向かう方角から鳴り響き、近づいているのか、音と柵の揺れがどんどん激しくなってくる。


俺「やばいやばい!」


B「まだかよ!早くしろ!!」


俺達の言葉が余計にAを混乱させていることを分かってはいたが、せかさないわけにはいかなかった。

Aは無我夢中に必死で柵をよじのぼった。



Aがようやく上りきろうというその時、俺とBの視線はそこにはなかった。がたがたと震え、体中から汗が噴き出し、声を出せなくなった。

それに気付いたAも、柵の上から俺達が見ている方向を向いた。

山への方角にずらっと続く柵を伝った先、しかもこっち側にあいつが張りついていた。

顔だけかと思ったそれは、裸で上半身のみ、右腕左腕が三本ずつあった。

それらで器用に綱と有刺鉄線を掴んで「い~っ」と口を開けたまま、巣を渡る蜘蛛のようにこちらへ向かってきていた。



とてつもない恐怖



「うわぁぁぁぁ!!」



Aがとっさに上から飛び降り、俺とBに倒れこんできた。それではっとした俺達は、すぐにAを起こし、一気に入り口へ走った。


後ろは見れない。前だけを見据え、必死で走った。

全力で走れば30分もかからないはずの道のりを、何時間も走ったような気がした。

入り口が見えてくると、何やら人影も見えた。おい、まさか…三人とも急停止し、息を呑んで人影を確認した。

誰だかわからないが何人か集まっている。

あいつじゃない。そう確認できた途端に再び走りだし、その人達の中に飛び込んだ。


「おい!出てきたぞ!」


「まさか…本当にあの柵の先に行ってたのか!?」


「おーい!急いで奥さんに知らせろ!」


集まっていた人達はざわざわとした様子で、俺達に駆け寄ってきた。何を話しかけられたのか、すぐには分からないほど、頭が真っ白で放心状態だった。

そのまま俺達は車に乗せられ、すでに三時をまわっていたにも関わらず、行事の時などに使われる集会所に連れていかれた。

中に入ると、うちは母親と姉貴が、Aは親父、Bはお母さんが来ていた。Bのお母さんはともかく、最近ろくに会話すらしていなかった、うちの母親まで泣いていた。Aもこの時の親父の表情は、普段見た事のないものだったらしい。


B母「みんな無事だったんだね…!よかった…!」


Bのお母さんとは違い、俺は母親に殴られAも親父に殴られた。だが、今まで聞いた事ない暖かい言葉をかけられた。


しばらくそれぞれが家族と接したところで、Bのお母さんが話した。


B母「ごめんなさい。今回の事はうちの主人、ひいては私の責任です。本当に申し訳ありませんでした…!本当に…」


Bのお母さんは、皆に何度も頭を下げた。よその家とはいえ、子供の前で親がそんな姿をさらしているのは、やはり嫌な気分だった。

A父「もういいだろう奥さん。こうしてみんな無事だったんだから」


俺母「そうよ。あなたのせいじゃない」


この後ほとんど親同士で話が進められ、俺達はぽかんとしてた。

時間も時間だったので、無事を確認しあって終わりという感じだった。この時は何の説明もないまま解散した。

一夜明けた次の日の昼頃、俺は姉貴に叩き起こされた。目を覚ますと、昨夜の続きかというぐらい姉貴の表情が強ばっていた。


俺「なんだよ?」


姉貴「Bのお母さんから電話。やばい事になってるよ」


受話器を受け取り電話に出ると、凄い剣幕で叫んできた。


B母「Bが…Bがおかしいのよ!昨夜あそこで何したの!?柵の先へ行っただけじゃなかったの!?」


とても会話になるような雰囲気じゃなく、いったん電話を切って俺はBの家へ向かった。同じ電話を受けたらしく、Aも来ていて、二人でBのお母さんに話を聞いた。

話によると、Bは昨夜家に帰ってから急に両手両足が痛いと叫びだしたそうだ。痛くて動かせないという事なのか、両手両足をぴんと伸ばした状態で倒れ、その体勢で痛い痛いとのたうちまわったらしい。

お母さんが何とか対応しようとするも、いてぇよぉと叫ぶばかりで意味がわからない。どうにか部屋までは運べたが、ずっとそれが続いてるので、俺達はどうなのかと思い電話してきたという事だった。

話を聞いてすぐBの部屋へ向かうと、階段からでも叫んでいるのが聞こえた。「いてぇ!いてぇよぉ!」と繰り返している。

部屋に入ると、やはり手足はぴんと伸びたまま、のたうちまわっていた。


俺「おい!どうした!」


A「しっかりしろ!どうしたんだよ!」


俺達が呼び掛けてもいてぇよぉと叫ぶだけで目線すら合わせない。


どうなってんだ…俺とAは何が何だかさっぱりわからなかった。一度お母さんのとこに戻ると、さっきとはうってかわって静かな口調で聞かれた。


B母「あそこで何をしたのか話してちょうだい。それで全部わかるの。昨夜あそこで何をしたの?」


何を聞きたがっているのかは、もちろんわかっていたが、答えるためにあれをまた思い出さなかればならないことが苦痛となり、うまく伝えられなかった。

それよりも、“あれ”を見たっというのが大部分を占めてしまってたせいで、何をしたのかという部分がすっかり抜けてしまっていた。

「何を見たか」ではなく「何をしたか」と尋ねるBのお母さんは、それを指摘しているようだった。

Bのお母さんに言われ、俺達は何とか昨夜の事を思い出し、原因を探った。


何を見たか?なら、俺達も今のBと同じ目にあってるはず。だが何をしたか?でも、あれに対してほとんど同じ行動だったはずだ。箱だって俺達も触ったし、ペットボトルみたいなのも一応俺達も触わってる。



後は…




楊枝…




二人とも気が付いた。



楊枝だ。あれにはBしか触ってないし、形も崩してしまっている。しかも元に戻してない。俺達はそれをBのお母さんに伝えた。すると、みるみる表情が変わり 震えだした。そしてすぐさま棚の引き出しから何かの紙を取出し、それを見ながらどこかに電話をかけた。俺とAは、その様子を見守るしかなかった。


しばらくどこかと電話で話した後、戻ってきたBのお母さんは震える声で俺達に言った。


B母「あちらに伺う形ならすぐにお会いしてくださるそうだから、今すぐ帰って用意しておいてちょうだい。あなた達のご両親には私から話しておくわ。何も言わなくても準備してくれると思うから。明後日またうちに来てちょうだい」


意味不明だった。誰に会いに?どこへ行くって?説明を求めてもはぐらかされ、すぐに帰らされた。一応二人とも真っすぐ家に帰ってみると、何を聞かれるでもなく「必ず行ってきなさい」とだけ言われた。

意味がまったく分からないまま、二日後に俺とAは、Bのお母さんと三人で、ある場所へ向かった。Bは前日にすでに連れていかれたらしい。

ちょっと遠いのかな…ぐらいだと思っていたが、町どころか県さえ違う場所だった。

新幹線で数時間かけて、さらに駅から車で数時間。絵に書いたような深い山奥の村まで連れていかれた。

その村の、またさらに外れの方、ある屋敷に俺達は案内された。

大きく、古いお屋敷で、離れや蔵もある、物凄い立派なものだった。Bのお母さんが呼び鈴を鳴らすと、“おじさん”と女の子が俺達を出迎えた。

おじさんの方は、まさに“その筋”の人のようなガラの悪い感じで、スーツ姿だった。

女の子の方は、俺達より少し年上ぐらいで、白装束に赤い袴、いわゆる巫女さんの姿をしていた。

おじさんは、どうやら巫女さんの伯父らしく、普通によくある名字を名乗ったのだが、巫女さんは「あおいかんじょ(俺にはこう聞こえた)という、よくわからない名を名乗った。

名乗ると言っても、一般的な認識とは全く違うものらしい。よく分からないのだが、ようするに彼女の家の素性は一切知る事が出来ないって事のようだった。

実際、俺達はその家や彼女達について何も知らされていない。

だだっ広い座敷に案内され、訳も分からないまま、ものものしい雰囲気で話が始まった。


伯父「息子さんは今安静にさせてますわ。この子らが一緒にいた子ですか?」


B母「はい。この三人であの場所へ行ったようなんです」


伯父「そうですか。君ら、わしらに話してもらえるか?どこに行った、何をした、何を見た、出来るだけ詳しくな」


突然話を振られて戸惑ったが、俺とAは何とか詳しくその夜の出来事をおじさん達に話した。

ところが、楊枝のくだりで「コラ、今何つった?」といきなりドスの効いた声で言われ、俺達はますます状況が飲み込めず混乱してしまった。


A「は、はい?」


伯父「おめぇら、まさかあれを動かしたんじゃねえだろうな!?」


身を乗り出し今にも掴み掛かってきそうな勢いで怒鳴られた。


すると葵がそれを制止し、蚊の泣くようなか細い声で話しだした。


葵「箱の中央…小さな棒のようなものが、ある形を表すように置かれていたはずです。それに触れましたか?触れた事によって、少しでも形を変えてしまいましたか?」


俺「はぁあの、動かしてしまいました。形もずれちゃってたと思います」


葵「形を変えてしまったのはどなたか、覚えてらっしゃいますか?触ったかどうかではありません。形を変えたかどうかです」


俺とAは顔を見合わせ、Bだと告げた。


すると、おじさんは身を引いてため息をつき、Bのお母さんに言った。


伯父「お母さん、残念ですがね、息子さんはもうどうにもならんでしょう。わしは詳しく聞いてなかったが、あの症状なら他の原因も考えられる。まさかあれを動かしてたとは思わなかったんでね」


B母「そんな…」


それ以上の言葉もあったのだろうが、Bのお母さんは言葉を飲み込んだような感じで、しばらく俯いてた。


口には出せなかったが、俺達も同じ気持ちだった。「Bはもうどうにもならん」てどういう意味なんだ。一体何の話をしているのか。そう問いたくても、声に出来なかった。


俺達三人の様子を見て、おじさんはため息混じりに話しだした。


ここでようやく、俺達が見たものに関する話がされた。



古くは「姦姦蛇螺」「姦姦唾螺
俗称は「生離蛇螺」「生離唾螺

「かんかんだら」「かんかんじゃら」「なりだら」「なりじゃら」など、知っている人の年代や家柄によって呼び方はいろいろあるらしい。


現在では、一番多い呼び方は単に「だら」、おじさん達みたいな特殊な家柄では「かんかんだら」の呼び方が使われているようだ。


もはや神話や伝説に近い話。


人を食らう大蛇に悩まされていたある村の村人達は、神の子として様々な力を代々受け継いでいたある巫女の家に退治を依頼した。依頼を受けたその家は、特に力の強かった一人の巫女を大蛇討伐に向かわせる。

村人達が陰から見守る中、巫女は大蛇を退治すべく懸命に立ち向かった。しかし、わずかな隙をつかれ、大蛇に下半身を食われてしまった。それでも巫女は村人達を守ろうと様々な術を使い、必死で立ち向かった。

ところが、下半身を失っては勝ち目がないと決め込んだ村人達はあろう事か、巫女を生け贄にする代わりに村の安全を保障してほしいと大蛇に持ちかけた。

強い力を持つ巫女を疎ましく思っていた大蛇はそれを承諾、食べやすいようにと村人達に腕を切り落とさせ、達磨状態の巫女を食らった。


そうして、村人達は一時の平穏を得た。


後になって、巫女の家の者が思案した計画だった事が明かされる。この時の巫女の家族は六人。異変はすぐに起きた。

大蛇がある日から姿を見せなくなり、襲うものがいなくなったはずの村で次々と人が死んでいった。

村の中で、山の中で、森の中で。

死んだ者達はみな、右腕・左腕のどちらかが無くなっていた。

十八人が死亡(巫女の家族六人を含む)。

生き残ったのは四人だった。



おじさんと葵が交互に説明した。


伯父「これがいつからどこで伝わってたのかはわからんが、あの箱は一定の周期で場所を移して供養されてきた。その時々によって、管理者は違う。箱に家紋み たいのがあったろ?ありゃ今まで供養の場所を提供してきた家々だ。うちみたいな家柄のもんでそれを審査する集まりがあってな、そこで決められてる。まれに 自ら志願してくるバカもいるがな」


さらにこう続けた。


伯父「管理者以外にゃ“かんかんだら”に関する話は一切知らされない。付近の住民には、いわくがあるって事と万が一の時の相談先だけが管理者から伝えられ る。伝える際には相談役、つまりわしらみたいな家柄のもんが立ち合うから、それだけでいわくの意味を理解するわけだ。今の相談役はうちじゃねえが、至急っ て事で昨日うちに連絡がまわってきた」

どうやら、一昨日Bのお母さんが電話していたのは別の人らしいことが分かった。話を聞いた先方は、Bを連れてこの家を尋ね、話し合った結果こちらに任せた らしい。Bのお母さんは俺達があそこに行っていた間に、すでにそこに電話していて、ある程度詳細を聞かされていたようだ。


葵「基本的に、山もしくは森に移されます。御覧になられたと思いますが、六本の木と六本の縄は村人達を、六本の棒は巫女の家族を、四隅に置かれた壺は生き残られた四人を表しています。そして、六本の棒が成している形こそが、巫女を表しているのです」


葵「なぜこのような形式がとられるようになったか。箱自体に関しましても、いつからあのようなものだったか。私の家を含め、今現在では伝わっている以上の詳細を知る者はいないでしょう」


ただ、最も語られてる説としては、生き残った四人が巫女の家で怨念を鎮めるためのありとあらゆる事柄を調べ、その結果生まれた独自の形式ではないか…という事らしい。柵に関しては鈴だけが形式に従ったもので、綱とかはこの時の管理者によるものだったらしい。


伯父「うちの者で“かんかんだら”を祓ったのは過去に何人かいるがな、その全員が二、三年以内に死んでんだ。ある日突然な。事を起こした当事者もほとんど助かってない。それだけ難しいんだよ」


ここまで話を聞いても、俺達三人は完全に話に着いていけず、置いてかれたままでいた。



だが、事態は一変した。



伯父「お母さん、どれだけやばいものかは何となくわかったでしょう。さっきも言いましたが、棒を動かしてさえいなければ何とかなりました。しかし、今回はだめでしょうな」


B母「お願いします。何とかしてやれないでしょうか。私の責任なんです。どうかお願いします」


Bのお母さんは引かなかった。一片たりともお母さんのせいだとは思えないのに、自分の責任にしてまで頭を下げ、必死で頼み続けてた。でも泣きながらとかじゃなくて、何か覚悟したような表情だった。


伯父「何とかしてやりたいのはわしらも同じです。しかし、棒を動かしたうえであれを見ちまったんなら…。お前らも見たんだろう。お前らが見たのが大蛇に食われたっつう巫女だ。下半身も見たろ?それであの形の意味がわかっただろ?」



「…えっ?」



俺とAは言葉の意味がわからなかった。下半身?俺達が見たのは上半身だけのはずだ。


A「あの、下半身っていうのは…?上半身なら見ましたけど…」


それを聞いておじさんと葵が驚いた。


伯父「おいおい何言ってんだ?お前らあの棒を動かしたんだろ?だったら下半身を見てるはずだ」


葵「あなた方の前に現われた彼女は、下半身がなかったのですか?では、腕は何本でしたか?」


俺「腕は六本でした。左右三本ずつです。でも、下半身はありませんでした」


俺とAは互いに確認しながらそう答えた。


すると急におじさんがまた身を乗り出し、俺達に詰め寄ってきた。


伯父「間違いねえのか?ほんとに下半身を見てねえんだな?」


俺「は、はい…」


おじさんは再びBのお母さんに顔を向け、ニコッとして言った。


伯父「お母さん、何とかなるかもしれん」


おじさんの言葉にBのお母さんも俺達も、息を呑んで注目した。


二人は言葉の意味を説明してくれた。


葵「巫女の怨念を浴びてしまう行動は、二つあります。やってはならないのは、巫女を表すあの形を変えてしまう事。見てはならないのは、その形が表している巫女の姿です」


伯父「実際には棒を動かした時点で終わりだ。必然的に巫女の姿を見ちまう事になるからな。だが、どういうわけかお前らはそれを見てない。動かした本人以外も同じ姿で見えるはずだから、お前らが見てないならあの子も見てないだろう」


俺「見てない、っていうのはどういう意味なんですか?俺達が見たのは…」


葵「巫女本人である事には変わりありません。ですが、“かんかんだら”ではないのです。あなた方の命を奪う意志がなかったのでしょうね。かんかんだらではなく、巫女として現われた。その夜の事は、彼女にとってはお遊戯だったのでしょう」


巫女とかんかんだらは同一の存在であり、別々の存在でもある…という事らしい。


伯父「かんかんだらが出てきてないなら、今あの子を襲ってるのは葵が言うようにお遊び程度のもんだろうな。わしらに任せてもらえれば、長期間にはなるが何とかしてやれるだろう」


緊迫していた空気が初めて和らいだ気がした。Bが助かるとわかっただけでも充分だった。この時のBのお母さんの表情は本当に凄かった。この何日かでどれだけBを心配していたか、その不安とかが一気にほぐれたような、そういう笑顔だった。


それを見ておじさんと葵も雰囲気が和らぎ、急に普通の人みたいになった。


伯父「あの子は正式にわしらで引き受けますわ。お母さんには後で説明させてもらいます。お前ら二人は、一応葵に祓ってもらってから帰れ。今後は怖いもの知らずもほどほどにしとけよ」


この後Bに関して少し話したのち、お母さんは残り、俺達はお祓いしてもらってから帰った。


この家の決まりで、Bには会わせてもらえず、どんな事をしたのかもわからなかった。転校扱いになったのか、在籍していたのか分からないまま、二度とBを見ることはなかった。ただ、すっかり更正して今はちゃんとどこかで生活してる、という話だけを聞かされた。


結局、Bの親父は一連の騒動に一度も顔を出さなかった。


俺とAも、その後すぐに落ち着くことができた。理由はいろいろあったが、一番大きかったのは、やはりBのお母さんの姿だった。母親というものがどんなものなのか、いろいろと考えさせられた。その一件以来、うちもAの家も、親の方から少しづつ接してくれるようになった。

他に分かった事としては、特定の日に集まっていた巫女さんは相談役になった家の人。“かんかんだら”とは、危険だと重々認識されていながら、ある種の神に 似た存在にされてるということ。それは元々、大蛇が山や森の神だったことによるものだということ。それで年に一回、神楽を舞ったり祝詞を奏上したりするよ うだ。

そして、俺達が森に入ってから音が聞こえたのは、“かんかんだら”が柵の中で放し飼いのような状態になっているかららしい。六角形と箱の“爪楊枝”が封印の役割となって、棒の形や六角形を崩したりしない限り、姿を見せる事はほとんどないそうだ。


供養場所は何らかの法則によって、山や森の中の限定された一部分が指定されるらしく、入念に細かい数字まで出して範囲を決めるらしい。基本的にその区域からは出られないらしいが、柵などで囲んでる場合は、俺達が見たように、外側に張りついてくる事もあるようだ。


俺達の住んでいるところからは、既に移されている。たぶん今は別の場所にいるんだろうな。